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3月30日(水)の放射性粒子放出シミュレーション
【表示時間はUTC(=GMT)。日本時間はUTC/GMTより9時間先行している】 ![]() リアルタイムシミュレーション: http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif ![]() 福島で放出された放射性粒子の相対的分散度 えびちゃ:さらに相対的に高い濃度 ちゃいろ:(相対的に高い濃度) わかくさいろ:明らかに希薄な濃度 シャトルーズグリーン:強度に希薄な濃度 レモンイエロー:(より強度に希薄な濃度) ぞうげいろ:最強度に希薄な濃度 重要事項の説明:この描写は、大気中の実際の放射性粒子の濃度(を測定した結果から)の帰納的推論とすることはできない。なぜなら、発生源の強度が不明だからである。これは、気候条件に依存して原子力発電所の虚構的放出がいかに分散させられ、いかに希薄化されるかを単に描写しただけのものである。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 旅行記が掲載されたBMW BIKESがマガストアからオンラインで買えるようになりました。<ちょっと読む>のボタンを押すと、掲載ページをめくって旅行記の全容を眺めることができます。 http://www.magastore.jp/product/1585 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
http://www.zasshi-online.com/viewer/bmwbikes1101215
http://www.zasshi-online.com/BMW+BIKES+2010年12月15日発売/1月号/c=pd/q=bmwbikes1101215_n_p 季刊誌「BMW BIKES」vol.53 2011 Winter にユーラシア大陸往復の旅(前編)が掲載されました。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
国道286号:仙台市→笹谷峠→山形蔵王
国道13号:山形市→上山市→南陽市赤湯 小国街道:南陽市赤湯→関川温泉→新発田市→新潟市 高速道路:新潟、糸魚川温泉 国道:富山県高岡市、富山港 フェリー:富山港、ウラディヴォストク M60 ウラディヴォストク、ハバロフスク Amyr ビロビジャン、ビュレア、ブラゴヴェシェンスク、ビュレア、シマノフスク、スコボロディーノ(バイバス )、 M56 スコボロディーノ(M56までAmyrを戻り、旧道で駅まで) M55 スコボロディーノ(駅からAmyrへ抜ける旧道)、チタ、ペテロフス・ザバイカルスキ、ウランウデ、イルクーツク シベリア鉄道 イルクーツク、クラスノヤルスク、ノヴォシビルスク、オムスク(ロシア)、ペテロパブロフスク(カザフスタン)、クルガン(ロシア)、チェリャビンスク、ウファ、サマーラ M5(トラック1台目) サマーラ、ペンザ、リャザン、モスクワ M10(トラック2台目) モスクワ、ヴェリーキーノヴゴロド、サンクトペテルブルグ フェリー サンクトペテルブルグ、コトカ(フィンランド)、リューベック(ドイツ) A1(E22) リューベック、ハンブルク、ブレーメン A7(E45/43) ブレーメン、ハノーファー、カッセル、 A6(E50) ニュルンベルク <ポシェット粉砕時日帰りルート> A9 ニュルンベルク、ミュンヘン A95(E533)+A12(E60) トゥッツィング、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、 B2+E533 ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、インスブルック(オーストリア) A13(E45) インスブルック、ボルツァーノ(イタリア)、トレント、ロベレト SS45BIS ロベレト、トレント、ボルツァーノ、 SS12 ボルツァーノ、ブレンネロ(イタリア側) A13(E45) ブレンナー(オーストリア側)、インスブルック、 A12(E60) インスブルック、ローゼンハイム A8 ローゼンハイム、ミュンヘン(ドイツ) A9 ミュンヘン、ニュルンベルク <再出発・東欧縦断ルート> A3 ニュルンベルク、レーゲンスブルク、パッサウ、ヴィーン(オーストリア) M1(E75) ヴィーン、ブダペスト(ハンガリー)、 M5 ブダペスト、セゲド、 43/431 セゲド、マコ DN56 マコ、ティミス(ルーマニア)、ティミショアラ DN59 ティミショアラ、モラヴィタ、 DN57 モラヴィタ、オラヴィタ、ナイダス、モルドヴァ・ノヴァ(ドナウ川沿い)、オルショヴァ DN6 オルショヴァ、ドロベタ=トゥルヌ・セヴェリン DN56A ドロベタ=トゥルヌ・セヴェリン、マグラヴィト DN56 マグラヴィト、カラファト 渡し船 カラファト、ヴィディン(ブルガリア) 1(E79) ヴィディン、モンタナ、ボテフグラド、◯ソフィア、クラタ A2(E90) セレス(ギリシャ)、◯テサロニキ E90 テサロニキ、カヴァラ 12 カヴァラ、フィリッポイ、ドラマ、カヴァラ、 E90 カヴァラ、◯テサロニキ E75 テサロニキ、◯アテネ フェリー アテネ、クレタ E75 イラクレイオ、プラキアス、◯レテュムノ、 E75 レテュムノ、イラクレイオ、アギウスニコラウス、イエラペトラ、カロイリムネ、アギオスパヴルス、レテュムノ フェリー クレタ、アテネ E75/E94/E65 アテネ、コリントス、パトラス フェリー パトラス、アンコーナ(イタリア) E55/E45/B182/E60/E45 サンマリノ、ヴェローナ、プレンナー峠(オーストリア)、インスブルック、ミュンヘン(ドイツ)、ニュルンベルク <EU脱出> E40/E51/E55 ニュルンベルク、ホーフ、ライプチッヒ、ベルリン、ロストック フェリー ロストック、ヘルシンキ(フィンランド) ヘルシンキ、ヒュヴィンカー、ラッペンランター <ロシア入国> サンクトペテルブルグ(ロシア)、モスクワ、ペンザ、サマラ、 <シベリア再横断> M5 サマラ、ウファ、チェリャビンスク、エカテリンブルグ E22 エカテリンブルグ、チュメニ、イシム E30 イシム、オムスク M51 オムスク、ノヴォシビルスク <アルタイ往復> M52 ノヴォシビルスク、アクタシュ、コチュアガシュ、ノヴォシビルスク M53 ノヴォシビルスク、ケメロボ、クラスノヤルスク、カンスク、イルクーツク M55 イルクーツク、ウランウデ、ペテロフスク・ザバイカルスキー、チタ M55 Amyr チタ、スコボロディーノ、ビュレア、ビロビジャン、ハバロフスク <沿海州横断> Amyr ハバロフスク、ヴァニノ フェリー ヴァニノ、ホルムスク ホルムスク、コルサコフ <ロシア脱出> フェリー コルサコフ、稚内 稚内、留萌、苫小牧 フェリー 苫小牧、仙台 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() ![]() ![]() ![]() 燃料漏れは、やはり燃料パイプのジョイントの破損が原因だった。既にクレタ島での燃料漏れの時から破損が始まっていたものと思われる。給油後走り出すたびに、ガソリンが揮発する臭気が漂っていておかしいとは思っていた。 幸い、亀裂が斜めに入り、ホースがその部分を覆ってバンドで締め付けられていたため、シベリア横断中に燃料が流れ出すような事態には至らなかった。あれから2万キロ近く走っていたのだから、大事に至らなかったのは奇跡的だ。今回一組のうちの片方だけが破損していたが、安全のために両方とも金属製のものに交換してもらった。 フロントサスペンションもオークションで入手した3万キロ走行のものと交換し、車高が少し高くなった。リアサスペンションほどではなかったが、フロントもかなり痛んでいた。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
サマラで通訳をしてくれたアレックスからiPhoneに、今回は会えなくて残念だったが、次に来るのはいつか、という電話が入った。盗まれたiPhoneの番号は知らせていなかったので、不思議だったが、あとでログを調べたらSkypeからの転送電話だった。
来年夏は、担当教授が来日する予定なので、再来年になるかもしれない、とだけ答えておいたのだが、もしウラジヴォストクから列車で行くと、どのくらいになるのか気になったので調べてみた。 昨年の今頃、イルクツクからサマラまで3等寝台を予約した際に利用したサイトが見つからないので、russiantrains.comを利用した。 https://www.russiantrains.com/en/order/d93ce1f2f575bc11be066b58950da5da/timetable 133Э Standard train 12:40 / Oct 28, 2010 15:09 / Nov 3, 2010 147:29 ちょうど6食付のクペーが1席だけ余っていて、554.89米ドル(46,508円、9/8のレート)だった。食事が不要なら、下段で441.16米ドルだ。 http://www.trainsrussia.comでは、全く同じ列車なのに、安く 198.27米ドル(16,618円)でクペー(食事無)の予約ができることが分かった。昨年半分の距離(イルクツク・サマラ間)を三等寝台で利用した際には、100米ドル弱だった。それと比べてもかなり安い。サイトによって料金が違うのは、手数料の違いだけではないような気がする。 ちなみに今日のスコボロディーノの最低気温は放射冷却で零下19度、イルクツクは零下3度、サマラは零下1度だ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
東シベリアで油田発見 日露共同、埋蔵量1.1億バレル
産経新聞 10月23日(土)7時56分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101023-00000103-san-bus_all 【モスクワ=遠藤良介】 独立行政法人の石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は22日、ロシアの独立系石油会社「イルクーツク石油」(INK)と共同で探鉱していた東シベリアの鉱区で大規模油田を発見したことを明らかにした。可採埋蔵量は少なくとも1億1千万バレルと推定される。未開発鉱区の多い東シベリアで日本の探鉱が成功したのは初めて。商業生産に移行した場合、第2段階を建設中の東シベリア-太平洋パイプライン(ESPO)を通じて日本に原油が輸出される見通しだ。 【セベロ・モグジンスキー鉱区(写真:産経新聞)】 油田が見つかったのは2009年に試掘を始めたイルクーツク州北部のセベロ・モグジンスキー鉱区。中東産より軽質で、良質の原油が確認された。現在、鉱区南東部だけが探鉱された段階で、鉱区全体の可採埋蔵量は3億7千万バレルとみる専門家もいる。日本企業もかかわったロシア極東の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」は石油の可採埋蔵量が11億バレルだが、今回も大規模とみなされている。 同州では他の2鉱区についても共同で試掘が進められており、天然ガスなどの産出が確認されている。 3鉱区の合弁開発会社にはJOGMECが49%、INKが51%を出資。合弁会社には探鉱後に開発権を得られる鉱業ライセンスがあり、日本は出資比率と同等の権益を得る。これら鉱区での14年までの探鉱投資は計3億ドル(約243億円)に上る見通しだ。 ロシアでは西シベリアの油田が減退期に入り、東シベリアでの油田開発が急がれている。東シベリアでは中国と露国営石油企業の共同探鉱も行われており、日本はそれに先駆けて油田発見にこぎ着けた。他方、北方領土交渉が一向に進まない中、日本がロシアに資源供給面での依存をさらに深める構図も鮮明になる。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
みぞれ混じりの雨の中、クルトゥクを過ぎてイルクツクに向かう峠を越えようとした瞬間に、逆走車に遭遇してバイクを放棄し、偶然通りかかったシェレホフのバイカーたちに助けられたのが、ちょうど一年前の今日だった。
ジスメテオによれば、今日から明日にかけてイルクツクは雪、その手前のスコボロディーノ・チタ間は晴れだが、最低気温が零下15〜12度の予報だ。ヨーロッパロシアの夏の40度に続いてこの時期のシベリアの零下15度は異常だ。いずれにせよ、シベリアの今年のツーリングシーズンは終了した。 昨年のこの時点で、まだジタバタしてシベリアを自走しようとしていた自分の身の程知らずさが信じられず、また恥ずかしくもある。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
【追い越しの原則】
・自分との速度差が十分に無い場合には、追い越しをしない。 ・追い越し前後に車線変更の方向指示を早めに行う。 ・追い越しが始まったら、追い越された車は速度を落とし気味にして譲る。 ・追い越しが済んだら、元の車線に必ず戻る。 帰国後、初めて東北自動車道を利用して東京・仙台間を往復した。改めて思ったのだが、日本は、道路の舗装状態では世界の水準からしてトップレベルだが、やはり追い越しの秩序と技術に関しては発展途上だ。 先進国では、追い越された車はわきまえていて、追い越しを早く終わらせるために、速度を抑えるかそのままにする。ましてや加速など絶対しない。追い越す方も、追い越そうとしている車と自分の車の速度差が十分でない場合には、追い越しをしない。 日本では、せっかく片道3車線あっても、一番左側の走行車線はガラガラで、一番右の走行車線は、数珠つなぎの車がだらだらと走り続けて団子状態が慢性化している。走行車線が空いていても、追い越しを済ませた車がその度に元の車線に戻らないためだ。 無理もない。日本では、道路事情と車両能力の実情からかけはなれた仕方で車線の速度設定がなされている。最高速度が100km/hに抑えられており、巡航速度の実情とは異なっているために、車線ごとの適正速度を事実上決められないのだ。当然、追い越しをする意味とその方法についての理解も浸透しない。 EUやEU加入準備中の東欧、ロシアでも、多くの場合高速道路での最高速度は130km/hで、大型貨物車、トレーラーなどの牽引車などは差異化され、80kmあるいは100kmと乗用車よりも低く設定されている。自ずから低速車の走るレーンは一番右(日本で言えば一番左)、高速車は二番目、そして追い越しをする車は、三車線あれば三番目と決まってくる。複線化されているのは大都市周辺だけなので、車両ごとの速度帯が違えば、一定の時間をはしるごとに低速車の車列に出会うため、中央線を越えて追い越しを行うことになる。また土地鑑の無い者でも容易に追い越しができるよう、追い越しのためのゾーンが設定されていて、それが中央線に矢印で表示されていることが多い。 日本では、最高速度が未だに100km/hに設定されているために、追い越すこと自体が良くないことであるかのように思われている。また追い越されることも好ましくないことであるかのように思われている。追い越された瞬間に譲る動作に移らない車両が多いのはそのためだ。 公共の道路をゆっくり走ろうと速く走ろうと、安全が守られ、事情や車の性能がゆるす限り自由だ。最高速度の差異化、適切な車線設定、追い越し手順の順守など、秩序に基づいた追い越しは不可欠なのだ。やみくもに赤信号で車を止めたり、最高速度を抑えれば安全が守られるという神話は、日本ではいつまで続くのだろうか。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【ロシア入国時、EU入圏時のスタンプ。ともにフェリーを利用したため、船のマークが入っている。陸路の場合は車のマーク、空路の場合は飛行機のマークだ。】 ウラジヴォストクで、通関書類を受け取りハバロフスクに向かってやっと走りだすことができたのが、ちょうど一年前の今日10月9日だった。10月5日(月)のウラジヴォストク上陸後5日目だった。 Gismeteo によれば、ハバロフスクの本日の最低気温は6度、仙台は最低気温が18度前後だった。電熱ジャケットや電熱グローヴのおかげで、なんとかなったものの、仙台よりも10度以上も低いこの時期にシベリア横断を開始したというのは、他人事のようだが今から考えるとかなりクレージーだ。 帰国後1ヶ月してまだなかなか仕事場に慣れない。夏前に走りだした日本の大陸横断者たちがそろそろ、ヨーロッパを抜けアフリカやアメリカに渡り始めているが、それを羨んでいる暇さえもない。次に長期休暇をとれるのは一体いつになるのだろうか。昨年秋、ウラジヴォストクで書類作成のために延々と待たされていた時間が懐かしく感じられるほどだ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【トリップメータの986kmという表示は、ドイツの宿舎を出発したときにリセットして以来、14,986km走ったことを示している。】 ![]() ![]() リアショックを交換したところ、姿勢も乗り心地も操作性も改善し、通勤にも使えそうになったため、とりあえずフロントタイヤを交換することにした。シベリア再横断直前にドイツで交換したタイヤの走行距離は1万5千kmを超えている。ミシュランのパイロットロード2の耐久性は驚くべきもので、1万5千キロ走ってもまだ溝が少し残っており、数日前の突然の大雨の中、恐る恐る出先から乗って帰ってきたが、きちんとグリップしていた。 本来ならば新品に交換すべきところなのだが、フロントホイールの交換をはじめとして、まだ今後の復元の見通しがたっていないため、バリ山を銘打って出されていた中古のパイロットロード2を近くのタイヤ専門店に頼み込んでつけてもらった。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【今回オークションで入手した中古の純正リアサスペンション】 ![]() ![]() ![]() ![]() BMW二輪専門店でフットステップとリアブレーキを復元してもらい、街中を走らせることができるようになった。しかし、リアショックが死んだままで、全くクッションが効かないリジットの状態だった。とても遠乗りなどできるような状態ではないし、サスが沈み込んだままなので、サイドスタンドをかけるのにもにも苦労していた。 専門店では、本格的な修理をするのなら、部品取りに出して中古を買ったほうが安いし早いと言われていた。こちらのためを思ってそう言ってくれているのは痛いほど分かる。しかし、こちらとしては、なんとしても乗り続けたい。結局、最後のあがきでヤフオクでリアショックを調達し、近くのバイク工場に頼み込んで取り付けてもらった。これでダメなら部品取りに出すつもりだった。 交換した部品を見たら、リアショックの取り付け部分の根元が破損し、グラグラしてひっこんだ亀の首のようになっていた。度重なるジャンプで設計時に想定されていた以上の負荷がかかったのだろう。交換前はサスが沈んでいてサイドスタンドをかけても車体がほぼ垂直に立っており、今にも反対側に倒れそうだった。しかし、交換してサスが立ち上がったおかげで、安心してサイドスタンドをかけられるようになった。 帰国後に、修理・整備のためにかかった費用はこれであわせて約8万円になった。まだ幾つか気になるところがあるのだが、自分でできるところは自分でやりつつ、少しづつ直していく予定だ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() ドイツ往復、クレタ往復・アルタイ往復を合わせ、大陸を縦横断して4万キロ以上移動するのに重宝したものがある。モンベルの二つ折りの財布とドイターの小型ヒップバックだ。 モンベルの財布は、軽くて薄く、湿っても革の様に重くなったり色落ちしたりすること無く、耐久性がある。小銭入れ部分のマジックテープの強度がもう少し欲しいところだが、乱暴に扱わない限り、縫製部分がほつれたり剥がれたりすることが無い。北イタリアでトレーラーにポシェットごと踏みつぶされた時にも、最後まで生き残ったのがこの財布だった。大陸横断中にこの財布を入れていたのが、ドイターの小型ヒップバックだ。大きさといい、バックルの強度といい、ちょうど良く、寝る時以外は身から離すことはほとんどなかった。 ![]() 【カメラや携帯、財布、パスポート、10徳ナイフなどが入った満杯の状態で、トレーラーに踏みつぶされ、破裂した大型ヒップバック】 ヒップバックに関しては、大は小を兼ねない。大型を入手して試したが、大きいと欲張って色々な物を入れたくなる。確かに便利ではあるが、その反面、かさばって重くなり、何かの折についはずしたくなってしまい、それが、紛失や置き引きなどの事故を引き起こすことにつながる。 deuterのヒップバックの生地は薄い割に頑丈だ。試しに使ったドイターの大型ヒップバックは、北イタリアのアウトストラーダで不注意で路上に落としてトレーラーに踏みつぶされ、ボロボロになってしまった。それでも、中に入っていた財布やパスポートなどが、傷つきながらも原形をとどめて残った。この小型ヒップバックと二つ折り財布は、擦り切れつつも、生き延びて、帰国しても未だに重宝している。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
北極海経由で欧州から初めて中国へ貨物船
2010.9.5 00:31 http://sankei.jp.msn.com/world/china/100905/chn1009050032000-n1.htm ノルウェーの海運会社の耐氷貨物船ノルディック・バレンツ(約2万7千トン)が4日、北極海経由で中国へ鉄鉱石を輸送するため、ノルウェー北部ヒルケネスを出港した。関係企業が明らかにした。約26日で中国に到着する予定。 ロシア以外で欧州からアジアへ北極海経由で貨物を輸送するのは初めて。地球温暖化による海氷の減少で可能性が高まった、同ルートの本格的商業利用が一段と現実化してきた。ロシア領海内の北極海では事故などに備え、同国営企業の原子力砕氷船2隻が伴走する。 欧州-極東アジア間の北極海ルートは従来のスエズ運河経由より航路が3~4割短縮できるほか、海賊の心配もないなどのメリットがあり、アジア各国や通航料収入などが期待できるロシアなどが商業利用に関心を示している。(共同) 大型タンカーが北極海横断 露、難関区の通過に成功 2010.8.26 19:00 http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100826/erp1008261901004-n1.htm 【砕氷船2隻に先導され、北極海航路を航行する大型タンカー(手前)=8月(ソフコムフロート提供・共同)】 ロシア海運最大手ソフコムフロートは25日、北極海を初めて横断航行している同社傘下の大型タンカーが北極海航路の難関部分の通過に成功し、ロシア東端のチュコト自治管区ペベクに達したと発表。同社のフランク社長は「大型船舶の運航の可能性が実証された」と表明した。 北極海航路での大型タンカー運航に事実上成功したといえる。地球温暖化で海氷が減りつつある同航路は将来、日本などアジアにとって重要な貿易航路になる可能性が出てきた。 今回運航されたタンカーの積載可能重量は約11万7千トンだが、同社長は来年、さらに大型のタンカーで同航路を運航する計画も明らかにした。 タンカーは北欧に近いムルマンスクを出港。天然ガス副産物の軽質原油コンデンセート約7万トンを積み、砕氷船を伴い、難関部分の約2500カイリを予定より早い11日間で航行*。今後の運航に役立つデータも集めた。9月上旬に中国の浙江省寧波に到着する予定。(共同) *転載者注:2,500国際海里は4,630km、難関区間の1日の平均移動距離は420km。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【バルト海、フィンランド沖の日の出】 ![]() 【日本海、樺太沖の日の出】 ![]() 【GPSのトリップメータ。実際の積算計の 14,481 kmと合わないのは、ロストックから計測を始めたため、また振動がひどく電源が入らなかった区間があるためだ。】 7月17日にドイツのロストック港を出発し8月22日に仙台港に到着するまでの期間中、移動していた日は以下の29日間だった。そのうちフェリーボート上の船中泊の日数と仙台の到着日をあわせた4日間を引いて、大陸横断してドイツから帰国するために移動していた日数は25日間、丸4日費やしたアルタイ往復に寄り道しなければ21日間だった。 7.17 ロストック出航、船中泊 7.18 フィンランド、ヒュヴィンカー泊 -----ロシア入国----- 7.20 ヒュヴィンカー出発、サンクトペテルブルグ泊 7.22 サンクトペテルブルグ出発、モスクワ泊 7.25 モスクワ出発、グズネツク周辺ホステル泊 7.26 サマラ着、サマラ泊 7.28 サマラ出発、ウファ泊 7.29 エカテリンブルグ到着、ホステル泊 7.31 エカテリンブルグ出発、アルバツキイ泊 8.1 ノヴォシビルスク泊 ------ロシア・アルタイ共和国訪問 8.2 ヴィイスク野宿 8.3 ウルガン峠野宿 8.4 アクタシュ付近野宿 ------ 8.5 ノヴォシビルスク泊 8.6 クラスノヤルスク、バス停泊 8.7 ニジネウディンスク郊外ホステル泊 8.8 イルクツク市内ホステル泊 8.10 ウランウデ泊 8.11 ウレテュイ(Улеты)ホステル泊 8.12 チタ泊 8.14 アマザール野宿 8.15 シマノフスク野宿 8.16 ハバロフスク泊 8.17 ヴァニノ泊 -----大陸横断完了----- 8.18 ヴァニノ出航、フェリー船中泊 8.19 コルサコフ到着、ホステル泊 -----ロシア出国----- 8.20 コルサコフ発、稚内着、ホテル泊 8.21 苫小牧発、フェリー船中泊 8.22 仙台港着 ドイツのロストックから苫小牧までオートバイで自走した距離が 13,759 km、それを25日間で割った移動時の一日の平均移動距離は 550.36 kmだった。 一日の移動距離が一番長かったのは、イシム・アバツコエ間のアルバツキイイからノヴォシビルスクまでの 950 kmだった(しかも、この日は時差の関係で1日23時間しかなかった)。ノヴォシビルスクからクラスノヤルスク郊外まで、シマノフスクからハバロフスクまでの約 800 kmでも、ともにナイトランを含めて12時間以上走った。 一日のうちで走っている時間が一番長かったのが、ハバロフスクに夜中3時に着き、朝9時頃に出発してヴァニノ港に零時近くになって着いた8月17日で、18時間だった。GPSに残っている最高時速178km/hは、クラスノヤルスクに向かう途中、ケメロボのバイカーズ、フェニックスに追いつくために出したものだ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() ![]() ![]() 大陸横断中の心配の一つに、車両盗難があった。ロシアでは宿泊中は、閉ざされた塀と鍵がかかる扉で囲まれている監視付スタヤンカ(駐車場)を利用するのが基本だ。宿泊者は無料の場合もあるが、100ルーブル前後の駐車場代を宿泊費用とは別にとられる。宿泊せずに、有料のスタヤンカだけを借りて車中泊をする横断者も多い。 大陸往復をするにあたり、日本を出発する前に盗難防止のためにアラーム付フロントブレーキ用ストッパーを調達していた。Mitsuba社のGuardog VISE GUARDというものだ。スイッチを入れるとLEDの動作ランプが点滅するようになっており、振動が加えられると大音響でアラームが鳴るようになっている。 カフェやスーパーで休憩や買い物をする際なども、アラームをセットして安心して車を離れることができた。春休みのギリシャ往復とシベリア往復の約3ヶ月間連続して使い続けたが、全く電池交換が必要なかった。少々値段が張るものだが、大陸横断用グッズとしておすすめできる。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() [Kinka-San in Miyagi-Ken viewed from Pacific Ocean] ![]() ![]() ![]() ![]() 2009年10月1日朝に自宅を出て以来、シベリアを横断してドイツを往復し、先ほど、2010年8月22日午前10時20分、自宅に到着した。 BMWの積算走行距離計は 72,526 km を差している。日本出発時の積算走行距離計は 34,650 km だったので、往復で 37,876 km 自走したことになる。この距離には、春休みを利用して東欧ルートでギリシャのクレタ島まで行った時の往復分や、週末を利用してプラハ、クラカウ、アウシュヴィッツ、ヴァイマール、ブッヒェンヴァルト、ドーラ・ミッテルバウ、フランクフルト等に出かけた時のものも含まれている。実際には車両移動に、特に雪で行く道を阻まれた往路にシベリア鉄道やトラックやフェリーも利用しているので、移動距離は 45,000 km を越えている。 ![]() ![]() 【中欧縦断・シベリア横断GPSデータをGoogle Earthで表示させたもの】 過酷な大陸横断を成功させることが出来たのは、堅牢なBMW K1200RSに対する絶対的安心感を持つことができていたからだ。K1200RSはアウトバーンでは無敵で、低速でもトルクを発揮してダートでギアチェンジが出来ない時でも各速でモーターのように吹き上がり、難所を次々とクリアしてくれ、悪路や転倒の物理的な衝撃によるキャリアやペダル、ホイール、ショック、ABSセンサーの破損以外は、横断中ほぼノートラブルだった。 Rennsport (=Racing Sport) という本来の用途とはかけ離れた、文字通りの酷使によって愛車を見るも無惨な姿にしてしまったことには本当に心が痛む。しかしそうした損失以上のものを与えられたことも確かだ。往復する間、ブログを見た方々から有用なアドバイスやエールを貰い、支えていただいた。そして行く先々で多くの人々に声をかけてもらい励まされ助けて貰った。 ここで改めて心から感謝の意を表したい。みなさん、有り難う。Всем! Спасибо!! <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
7月16日に寄宿舎を引き払ってドイツを出発したとき、積算走行距離計は58,020kmを差していた。シベリアを再横断し、北海道を縦断してフェリー乗り場にたどり着いた本日(8月21日)の時点で積算走行距離計は、72,501kmを差している。
復路は、ヴァニノに向かう山中でトレーラーに載せられた約100kmを除いて14,481km走ったことになる。予定よりも2,000kmほど多かったのは、ノヴォシビルスクとアルタイの往復の分だ。 フロントタイヤはスリップマークが出ているものの、まだ溝があり、小雨の中でもしっかりグリップしていたし、リアタイヤに至ってはまだまだ走れそうな感じだ。復路にミシェランのパイロットロード2を選択して大正解だった。 ![]() ![]() 【稚内行きフェリー搭載時に検疫のために土砂を洗浄した後のタイヤの状態】 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【稚内のホテル駐車場でお会いした真言宗の僧侶金澤さんと愛車DR650】 ![]() 【週末で賑わう日本最北端のSA、砂川SAにて】 北海道最北端の稚内港を朝6時(樺太時間8時)に出て、約500km先の北海道南端の苫小牧港をめざした。雨と強風のため、80kmだすのがやっとだったが、日本海に沿って留萌まで行き、深川から山側に入り高速道路になってからは雨も風も止み、昼頃に苫小牧に到着した。 樺太時間との時差が調整できていないのが幸いして早めに出られたおかげで、高速に入るまではかなり道路がすいており、途中までの雨と強風を除けば、快適だった。 苫小牧の周りには登別温泉など、フェリーチェックイン後の待ち時間に足を伸ばしたいところが沢山あるのだが、フロントブレーキしか使えない現状を考慮し、余計な行動は差し控えることにした。案の定、午後になって深い霧がたちこめてきた。3時半にチェックイン開始、5時半に車両積載開始、出航は午後7時の予定だ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【2009.11.2と2010.8.20のスタンプが押された自動車一時輸出入申告書】 サハリン時間午前10時に稚内行きフェリーが出航し、日本時間の午後3時半(サハリン時間午後5時半)に稚内に到着した。到着後、一般乗客と一緒に下船して、通関手続きをしてから、稚内税関事務所の職員の立ち会いのもと、実際の車両の車台番号と、一時輸出書類掲載のものが同じであることを目視確認した。 ここで問題になりそうだったのが「自動車一時輸出入申告書」だった。これは昨年秋の出発時に伏木港から車両を持ち出した際に、税関事務所で作られた書類で、<帰国時には輸入する際の申告書として使用されるので、大切に保管するように>という指示があったものだ。しかし、この書類のオリジナルは、ダート走破時に失ったブリーフケースに入っていた。 何かあった時のために、この書類は、スキャンして PDF データとして mac.com の iDisk にアップロードしておいたのだが、今回このクラウド上のバックアップが役に立った。 通関業務を依頼していた日通の職員からオリジナルの提示を求められた際、こうした経緯を話し、なんとか税関事務所と交渉してもらうように頼んだ。前もってPDFデータとしてハートランドフェリーの玉島さんが書類データを日通に転送してくれていたのが良かった。日通職員が、フォトコピーではなくPDFを鮮明に印刷したものを複数用意してくれていたのだ。 結局、事情の説明と原本と間違いないことを示す署名も求められたが、日通職員の交渉のおかげもあって、PDFを出力したものに再輸入の許可印を押してもらうことで一件落着した。これで日通に払った費用は、たったの2,000円、まさにgood job!だった。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【稚内行きフェリーに搭載し、検疫のための砂と土の洗浄作業直後の状態】 朝7時半にコルサコフのフェリーゲート前のインフロート社で担当者と待ち合わせ、8時に出国手続きが始まるのを待った。 出国手続きでは、昨年ウラジヴォストクで作った車両通行許可書のオリジナルを出すように求められた。これは昨年11月12日にサンクトペテルブルグからフェリーでロシア出国した際に、通関事務所で返却するように求められたものである。返してしまったため、オリジナルは手元に無い。そもそも持っている方がおかしいものだ。 昨年のロシア滞在中にスキャンし、念のためにその画像をインフロート社に送っておいたのが、そもそも間違いだった。前回は前回、今回は今回で、それぞれ手続きが独立してあるべきなのに、昨年の書類のコピーを通関事務所に送られてしまったために、通関事務所を混乱させてしまったのだ。 最終的に、昨年ウラジヴォストクで作った書類は、サンクトペテルブルグでの出国手続きの際に、提出して手元にありません、というあたりまえの内容の念書を、通訳の女性と一緒に作り、サインすることで片が付いた。 この一件のせいで、泥沼の200kmをはじめとしてサハリンの悪路を走破し、同じくバイクで通関しようとしていた小林氏に、不要な時間をとらせてしまった。大変申し訳なかった。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() ![]() 【突然現れた三菱ふそうのトレーラー】 ![]() 【悪路でも落ちないようにK1200RSを直にロープで固定するサーシャ】 ![]() ![]() 【トレーラーを降りた後も沼地と悪路が断続的に200km続いた】 ![]() 【ブラックユニコーンズのメンバー、左からサーシャ、アンドリュ、セルゲイ】 ![]() 【ブラックユニコーンズのクラブハウス】 ![]() ![]() 【バイカル・アムール鉄道=バム鉄道(БАМ)事実上の終点ヴァニノフェリー埠頭】 サハリンのコルサコフ港でロシア最後の晩を過ごしている。明日(20日)稚内に向けて出航予定だ。稚内で一泊して北海道を縦断し、苫小牧から仙台へでフェリーで向かう。 コルサコフの中心街にはフェリー埠頭と、外見上は日本人と見分けがつかない樺太人が主体のマーケットがあるだけで、みやげものやも、遅くまでやっているレストランも無い。本当に小さな港町だ。樺太の中心都市ユージノサハリンスクには、リアブレーキペダル無しで足を踏み入れる勇気がなかった。 シベリア横断は、最後の一週間が一番過酷だった。昨年の寒さにこらえていた時が、どれほど楽だったかと思わせるぐらいのハードなラフロード(悪路)の連続だった。 特に17日朝にハヴァロフスクの宿を出て向かったユーラシア大陸東端にある港町ヴァニノに抜ける300kmほどの山道は、想像を絶するものだった。朽ちかけた木の橋を渡ったり、泥の海をエンジンをかけながら単車を押して歩いたり、泥の山を越えられなくて転倒し、一時は、バイクと荷物を放棄して自分だけ帰ろうかとさえ思った。 その時突然現れたのが、三菱ふそうのトレーラーに乗るサーシャだった。彼が声をかけてきた時には、数百メートル離れたところに放棄して来たはずの荷物が、すでに全てトレーラーに載せられていた。そして、バイクもこれに載せろというのだ。 二人だけで300kgのバイクをトレーラーに載せるにはかなりの荒療治が必要だった。しかも悪路の連続でバウンドしてしまうため、スタンドをかけることができず、BMW K1200RSをマナイタにくくりつけたマグロの様にして車台に直に載せて運ばざるを得なかった。それでも放棄するより、ずっとましだった。サーシャには、一番酷いところを百キロ近く、バイクと荷物ごと運んでもらった。本当に助かった。 サーシャは英語が出来ないので、身振り手振りと片言のロシア語でコミュニケーションをとるしかなかった。サーシャに寄れば、今年の東シベリアの7月8月は、例年になく雨ばかりで、雨が降らないウラル以西のヨーロッパロシアとは対照的だったそうだ。 ヴァニノルートを通過するなら、長雨が降り始める前の方が良い。文字通り雲泥の差がある。 サーシャと別れてからも、普通ならトライアルやモトクロスの選手でなくては越えられないような難所を何カ所も越えねばならなかった。アクロバットじみたこともした。そうして、なんとか辿り着いたヴァニノの町で待ち受けていたのが、夜霧だった。前方視界が5mくらいしかない。路肩がどのような状態か皆目見当がつかないため、単車を停めることも、速度を上げることもできない状態が1時間くらい続いた。幸い国道は定規で線を引いたようにまっすぐだった。 日付が変わる頃にヴァニノ港のガソリンスタンドにようやく辿り着き、スタンドのおばさんを拝み倒し、テントを張らせてもらう許可を貰った。テントを組み立てているうちに、給油に来た若者たちが、俺たちもバイカーだ、バイカーズハウスがあるから、今夜はそこに泊まれ、そう言ってくれた。 翌朝、学校の休みだから時間があるといって、若者たちが、サハリンに渡る切符やフェリー通関の手続き等煩雑な手続きを、全てついてきてやってくれた。ロシア語の分からない私がやっていたならば、その日中にフェリーに乗ることができなかっただろう。 多くの見知らぬロシア人に助けられつつ、なんとかロシアを脱出できそうだ。特にトレーラーの運転手サーシャと、ヴァニノのバイククラブ、ブラック・ユニコーンのセルゲイ、アンドリュ、サーシャには、改めてこの場で心からお礼を申し上げたい。 Thank you, Sascha on Mitsubishi FUSO! Thank you, Black Unicorns, Sergei, Andrew & Sascha! <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 【英語が堪能なキャプテン、ヴィクトール、Thanks again, Viktor!】 ![]() ![]() 【フェリー航行時に損傷した右フットペダルと右ブレーギペダル】 ![]() ![]() 【ホルムスクからコルサコフに向かう山側の国道にて】 サハリンのホルムスクに向かうフェリーは二人部屋だった。単車送料とあわせて、料金は3300ルーブル、約10,000円といったところだろうか。同室のヴィクトールが、サハリンIIのプラントなどの生活必需品や部品などを運ぶ船の船長だった。休暇でヴァニノの友人を尋ねた帰りだと言う。片言の英語が出来て、日本の港にも航海士、あるいは船長として何度も来たことがあり、色々と話しが進み、楽しい時を過ごすことができた。 翌朝、ヴィクトールにコルサコフで通関を依頼してあるインフロート社に電話してもらった。24日に予約していた稚内行きのフェリーを20日に変更することが書類上可能かを尋ねるためだった。彼のおかげで、無事に午後にコルサコフに辿り付けば、手続きが可能になった。本当に有り難かった。 フェリーがホルムスクに到着して下船しようとしたところ、外国人は全員パスポートを持って行かれ、後でエミグレーションで渡すので待っているように指示を受けた。エミグレーションがどこにあるのかもロシア語が分からない私たちにとっては不明だったが、親切なロシア人があちらの建物の中だと指差して教えてくれた。 30分ほどして、ロシア人たちが全員下船した後に担当者がパスポートの束を持って来て、真っ先に私に手渡し、もう行って良いという。フェリーにバイクを載せているので特別の計らいをしてくれたのかとその時は思った。いやに愛想が良かった。 やっと解放されたという思いで、やっかいな複々線の線路が敷かれているフェリーボードの甲板で、数人の作業員と現場監督に手伝ってもらい、単車の方向を換えて出発した。何故、わざわざ現場監督がその場にいて単車を押すのまで手伝ってくれるのか、不思議なことなのに、その時は気づかなかった。そのままフェリー埠頭を抜けようとすると、今度はゲートで止められた。フェリー会社に、車両受取証を作ってもらう必要があるというのだ。 会社の窓口に行くと、もう誰もおらず、しばらくして担当者がやってきた。そしてシットダウン、ウエイトと言う。犬に対する指示のようだが、丁重な扱いだった。しかし、何本も電話が長く続き、いつまでたっても書類を作ってくれる気配がない。今から考えると、イポンスキ、とかモータツィクル等と、単車の話をしていたような気がする。 しびれを切らして、明日の便で日本に渡るので、どうしても今日の午後までにコルサコフに行く必要がある、と申し出たところ、急に態度が変わった。こちらに来いと手招きして、署名を沢山させられたが、5分もたたずに書類が出来上がった。その後、書類作成料350ルーブルを支払わされ、スタンプを押してもらい、やっとフェリー埠頭を抜け出すことができた。 フェリー埠頭を抜けて、コルサコフの町を抜け、ユージノサハリンスクに向かっている最中に、どうもいつもと違うことに気がついた。リアーブレーキが効かない、いや、それどころか、リアブレーキのペダルが二三度踏んだ後に、無くなってしまったのだ。 停車できる適当な場所が無いので、あわてて対向車線の路側帯に単車を停めて確認したところ、リアブレーキのペダルがフレームごと脱落し、ぶら下がっていた。幸い、ブレーキのシリンダは無傷だった。これなら直せる。 航行中にフェリー内で単車が倒れ、ペダルがフレームごと破損したのだ。よく見ると、ボディにはいままでなかった傷がある。しかし時はかなり遅い、埠頭を出てしまっているし、指示に従って山ほど署名をしてしまった。多分あの中には、受け取った後は運送会社の責任は問わないというのがあったに違いない。欄外に署名させられたものまであった。 戻ってクレームを付けに行き、修理してもらうか、そのまま行くか、かなり迷った。英語がわかるバイカーは100kmほど離れたユージノサハリンスクにしかいない。わざわざ出て来てもらうべきだろうか。 幸い、K1200RSの場合、サスペンションの構造上、カーブ途中でフロントブレーキをかけても転倒しない設計になっている。ダートや急ブレーキで停まるような状況で無い限りは、なんとかフロントだけでも走行することは出来る。 フェリー会社との交渉がうまく行っても行かなくても、修理はユージノサハリンスクになるだろう。すぐに修理工場を見つけられるかも分からない。一日で済む訳が無い。このまま数日サハリンに留まって修理してから出発するか、日本に渡るかの二者択一だった。 時間の無駄になりそうなので引き返してクレームをつけるのは止め、ユージノサハリンスクまで走って様子を見ることにした。道は大半状態が良く、道を聞いたら、途中で曲がれば、ユージノサハリンスク市内を抜けずに、良い舗装の状態がコルサコフまで続くことを教えてくれた。 ![]() ホルムスクとコルサコフ間は、一旦ユージノサハリンスクに向かってからのルートは道の状態が大変良い。規模は全く違うが、モスクワ周辺の道路状況と似ている。 コルサコフの町に入り、フェリーが見える方向に向かって行くと、首尾よくフェリーポートのゲートに着いた。インフロート社はどこだと聞くと、目の前だと言う。いままでこんなにスムーズに辿り着いた試しは無かった。しかも、インフロート社で安いホテルが無いかと聞くと、1500ルーブルでトイレシャワー付きのツインの部屋があるというのだ。セキュリティ付きの駐車場も教えてくれた。至れり尽くせりだ。インフロート社の通関手続き費用は4,000ルーブルだった。 インフロート社の対応がかなり良かったのもあり、結局、その場で書類を作ってもらい、明日日本に向けて出発することにした。到着が午後遅くなるので、稚内で停まるか、そのまま進むかは、もう少しネットなどで情報を集めてから決めることにしている。なんとか渋滞や大きな都市を通らずに、苫小牧までたどりつきたい。フェリーに載せてしまえば、あとは仙台まで寝て過ごせる。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() トレーラーに載せてくれたサーシャと別れ、ヴァニノに向かうオフロードを難儀しながら低速で進み、かなり時間がたっていた。突然舗装路が現れた。長距離走行をする場合、速度を出せるところでは出して距離を稼ぐのが原則だが、はたしてそこがスピードを出すべきところなのか、用心して走るべきところなのかを判断するのに多少時間がかかる。 ここでも始めはおそるおそる走っていたが、ある程度走ってスピードを出して良いことが分かったため、時間を稼ぐために120km/h程度におさえてしばらく走った。さらに峠を越えて下り坂になり、ワインディングロードを調子良く走っていたのだが、カーブを抜け長い下り坂の直線にさしかかった途端に道の様子がおかしいことに気づいた。地平線上に見える道路の色が違う。直線の途中で舗装が切れていて、その先がダートになっているのだ。 停まる余裕が無かった。舗装は状態が良く乾いているとはいえ、雨後で舗装面が汚れている。急ブレーキをかければ転倒する恐れがあり、しかも、もう切れ目までそれほど距離が無かった。ジャンプするしかなかった。 結果的には切れ目の先のダート面が比較的平らで柔らかだったため、ジャンプ後、無事に着地することができた。ABSが切れていたため、ダート着地後のブレーキングも問題無く、転倒もなかった。ほんの数十秒間の出来事だった。 GPSの記録に寄るとジャンプ時の高度差が9mもあったことになっているが、精々1-2m程度だろう。衛星が捉えにくい、山中での出来事であり誤差がかなり出ていると思われる。乾燥重量300kgを越えるK1200RSでアクロバットじみたことをやるのは、これが最初で最後だろう。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() 予約していた24日の稚内行きフェリーを前倒しにして、ぎりぎりのタイミングで20日の便に乗ることができたのは、偶然の積み重ねによるものだった。頼んだ訳でもないのに日程を短縮してくれる先導役が次々に現れたのだ。一番不可思議だったのは、16日午後にオイル交換を済ませてからビロビジャンに向かう途中で出会った羊を満載したトラックとの遭遇だった。 カフェでお茶を飲み小休止した後、積み荷を点検していた時に、アラブ系の男性から突然声をかけられた。「どこから来たんだ?ハバロフスクまで来るなら、旨いシャシリクを食わしてやる。ガスチニーツァもあるし、お前の壊れたレーザーパンツも直してやる」そう言って、このドライバーは、三段に重ねられた羊の檻を積んだトラックを、バイクを先導するようにして出発させた。 通い慣れた山道なのだろう。メェーメェー鳴き続ける30頭ほどの羊を載せたトラックが、右に左に穴ぼこをよけながら、80-100km/hでラフロードを飛ばして行く。やがて日が暮れ、霧も出て来て、ヘッドライトを頼りにトラックが走るあとをトレースするナイトランが数時間続いた。時には舗装の良い対向車線を走り続けることもあった。途中、ビロビジャンの検問で30分ほど足留めを食ったりもした。 日付が変わる頃、山中で急にトラックが停止した。パンクだった。ダブルタイヤの一つがパンクしたのだ。オートバイのライトで作業箇所を照らしながら作業が終わるのを待った。30分くらいかかったろうか。ジャッキアップせずに、車止めのようなものに乗り上げさせて車体を持ち上げ、タイヤ交換が終了した。 再出発できたのは良かったのだが、トラックの巡航速度が急に上がった。しかも、山中で夜霧が濃くなって来て、ついていくだけでやっとなのに、トラックが次々に追い越しを始めた。間に入っている車の追い越しにとまどっているうちに引き離され、とうとう羊たちが見えなくなってしまった。 ハバロフスク市内に入る辺りで待っていてくれるかもしれないと思ったが、甘かった。誘いに軽く乗った自分が情けなかった。声をかけて来たのは向こうなのに、どうしてこんな仕打ちをするんだろう、そんな風にさえ思った。 おそらく予想外のアクシデントで予定よりも遅くなり、客人を招くどころではなくなったのだろう。こちらも疲れていて、間に入っている車を追い越す気力を失っていた。こういう結末に至ったのも仕方ない。そう考えることにして、シベリア横断の先駆者たちが残してくれたガスチニーツァのGPSデータを頼りに一軒一軒尋ねることにした。前もってGarminに入力していたのが助かった。 最初の宿は3,500ルーブルだった。値段が一桁違う。日本でもそんな宿には泊まらない。こちらからご辞退申し上げた。二番目の宿は850ルーブルだったが、外国人は駄目だという。しつこく頼んだが「ツーリスト」というホテルが外国人を受け入れているので、そこへ行くように言われた。 何度も戻って説明を受けたが見つからず一時は途方に暮れたが、Garminの近隣の宿泊施設に「ツーリスト」が入っていることが分かり、なんとかナヴィを頼りにして辿り着いた。レセプションで受け入れる受け入れないの擦った揉んだがあったものの、なんとか夜中の3時に床につくことができた。一泊1,800ルーブルで予算の3倍だったが、朝食バイキング付きということで手を打った。 結局その後、このホテルで数時間の睡眠をとった後に、ヴァニノルートにアタックすることになった。もっと良いコンディションで臨んでいたら、より良い結果が出ていただろうか。今から思えば、天気が回復して道が乾くまで1〜2週間待つとか、プランを大幅に変更してウラジヴォストクまで行き、バイクだけを貨物船に乗せてしまうとか、他の帰国方法もあったのかもしれない。だが、いずれにせよ、8月中の帰国は難しかっただろう。 見知らぬ土地で一晩中トラックに乗った羊たちを追い回すという、あの不思議なナイトランをどう評価すべきなのか未だに分からない。日程短縮という観点からすれば、あのドライバーに感謝すべきなのかもしれない。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
シマノフスクのカフェ脇の廃屋にテントを張らせてもらった翌朝、テントにへばりついたセメントの粉を拭き取り、ハバロフスクに向けて出発した。道路の状態は素晴らしく、なんとか自制して120km/hに押さえながら走ったが、あと500kmというところで、オイルアラームが点き出した。よく考えたら、オイル交換をしていなかった。
サマラでオイルとフィルタを交換して以来、アルタイ往復を含めて9,000km、オイルを交換せず継ぎ足しだけで、なんとかごまかしてきた。ここまでもったのはMotul 7100の20W-50だったからかもしれない。 結果論だが、単純計算で行けば、ヴァニノ、ユージノサハリンスクまでの12,000km内で、予定外のアルタイの往復2,000kmがなければ、最後まで警告ランプが点かなかったはずだ。 ![]() 【この7,000kmにノヴォシビルスクからアルタイまでの往復2,000kmが加えた9,000kmの区間、オイル交換できなかった】 いろいろ試してみた結果、オイルの量は足りていても、温度が高くなっているらしい。9,000km走り続け劣化が進んでいるのだ。エンジンが焼き付くよりはいいので、坂を上った後、下りはエンジンを止めてニュートラルにして滑走し、油を冷やすことを繰り返すことにした。地平線までまっすぐな道が続き、対向車も後続車も皆無、天気も曇りという条件でしかできない手だったかもしれない。 ![]() 【傾斜がきつく路肩が狭いために駐車して写真をとることができないが、東シベリアに入ると直線が地平線まで続くような坂の上り下りが続くところが多い。】 そういうことを百キロ近く繰り返してだましだまし走らせながら、やっとフル・シュンセティックのオイルがある店を見つけた。偶然にも、昨年キャリアが破損した時にブラゴヴェシェンスクのバイカーたちを紹介してくれたサーシャのカフェの隣だった。 ![]() ![]() 10ヶ月ぶりの再会をサーシャと一緒に喜びながら、オイル交換を頼んだ。あいにく 3 Literしかなかったが、Motulのあまりが300cc残っている。それを足してぎりぎりだが、焼き付くよりは良い。オイル 3 Literで1,200ルーブル、工賃は150ルーブルだった。10W-40で粘度が低く冬仕様だが、全く交換しないよりはましだった。 何故チタでオイル交換しておかなかったのか、今から考えると不思議だ。ホイール変形でパニックに落ちいっていて、オイルにまで気が回らなかったのだ。 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ![]() チタでは、ホイール変形で恐慌を来してしまい、ATMでルーブルを引き出すことと、オイル交換すべきことをすっかり忘れていた。 チタを出ると、ATMは294km先の町チェルニシェフスク[Чернышевск]にしかない。着いたのが食事時間中で1時間近く待たされたが、列の先頭に立っていたため直ちに上限の2,000ルーブルを下ろすことができた。しかし、次のカードで試そうとしてもたもたしているうちに後ろを振り向いたところ、20人以上のロシア人が並んで私が終わるのを注視しているのに気がついた。 数分のことなので、胸を張って次のカードでの出金を断行すれば良かったのだが、それができなかった。次のATMはさらに292km離れた町モゴチャ[Могоча]にしかなかった。しかもM58から、酷いがたがた道を片道7kmも入って行かなければならなかった。チタの中心部でATMを使っていれば、この二つの町で費やした3時間は全く必要なかった。 なんとか予定額を二つの町でATMでおろし、暗くなって来ていたがハバロフスクに向かった。道が良くナイトランに没頭できたのだ。そのせいでBMW K1200RSの全走行積算距離が70,000kmに達していたのに気づかなかった。そういえば60,000kmはモスクワ郊外だった。 この日は、野宿できる場所が見つからず、日没近くになってアマザールのガソリンスタンドの脇にテントを張らせてもらうことにした。結局668kmしか走れなかった。 ![]() 【294kmぶりに見つけたチェルニシェウスクのATM付近でBMWを見て集まって来た若者たち】 <↓バナーをクリック!ブログランキングが分かります> にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
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